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    TAIGA

    人生を変えた

    1 本の電話から始まる

    アーティストの物語

    「親が勝手にオーディションに応募して~」。アイドルのデビューの逸話としてあまりに有名なパターン。もはや都市伝説のように語られるが、事実、それで人生が変わった人物がいる。アーティスト事務所代表のTAIGA。彼の芸能人生はそんな自分自身が知らなかったオーディションからスタートした。

    松原大輔 / 編集・ライター

    「1次審査に通過しました」

     2015年、1本の電話が彼の運命を大きく変えた。

     電話の主は芸能事務所・石原プロモーションの担当者。
    「1次審査に通りましたので2次審査に関してお知らせします」という内容だった。
    しかし、電話を受けた当の本人は何の話かまったくわからなかった。というのも石原プロのオーディションに応募した記憶がないのだ。

    「びっくりしましたよ!なんのことかわからなくて、親に確認したらハワイ旅行と賞金が欲しいからオーディションに応募したって。そんなパターン本当にあるんですね(笑)」
     テレビで有名アイドルが披露しているような話が本当に自分の身に起こり驚いたが、せっかくなのでと2次審査へと向かうこととなる。そして2次、3次審査と通り、最終審査の1つ手前。気が付けば応募者1万5000人の中から40人まで絞られた候補者の中に残っていた。
    「もう結果はダメでしたが、そこで思ったんです。人生1度きりだし普通に働くのもいいけどせっかくだから挑戦してみようって」

     そう語るのはTAIGA。
     現在、アーティスト事務所の代表を務め、自社でボーイズグループなどを手がけている。彼自身も元はステージに立つアーティストだった。
     今でこそメンズのダンス&ボーカルグループやアイドル達が全国各地のライブハウスやイベントで活躍しているが、当時はそういったライブイベントもほとんどなく、それらの礎を築いてきた世代となる。
     運命を変えた1本のこの電話から彼は芸能の道を進むこととなる。
    それは彼を取り巻く数奇な運命としか言いようがない偶然が重なっていた。

    ■諦めたプロ野球選手の夢

    「小さい頃から野球をずっとやっていて真剣にプロになろうと練習していました。だから歌やダンスとか小さい頃は芸能には興味はなかったですね」

     ポジションはピッチャー。幼少時より野球をやっていて、甲子園、プロ野球選手を目指していたが高校時代に、怪我をして夢を諦めることになる。

    「高校で野球辞めることになって大学に入ったのですが、野球しかやってこなかったので本当に自分探しの大学生活がスタートしましたね」
     野球こそできなくなったが、それなりに楽しく大学生活を送り就職活動もスタートし、順調に内定をもらい始めた頃、あの電話がかかってきた。

    「当時、就職活動中で何社か内定ももらっていて、その電話も内定の話かなと思ったら石原プロからの電話だったんです」
     結果は最終予選の一つ前で落とされたが物語はここでは終わっていなかった。偶然には偶然が重なる。当時の働いてたアルバイト先のビルのエレベーターで後にFLS(フィアレス)のリーダーとなるkanjuに声をかけられたのだ。
    「kanjuとはバイト先は違うんですが同じビルにあるお店で働いていたので、たまに挨拶するくらいでした。でも僕がオーディション受けていたの知ってくれていて、よかったら一緒にダンス&ボーカルグループやらないかって誘ってくれたんです」
     石原プロのオーディションは大々的に行われ、最終審査前とはいえ全国にそのオーディションの模様が周知されていた。
    そこでTAIGAがいることを知り、kanjuが声をかけたというわけだ。
    「『オーディションどうだった?』『落ちたよ。じゃあ一緒にやろうよ』って感じで始まりました」
     それから内定していた企業に断りを入れ、芸能の道を本格的に歩み始めた。幸い両親はオーディションに応募したほどなのでこれを応援した。内定をもらった企業の人たちも事情を知り、頑張ってと背中を推してくれた。
     こうしてTAIGAはオーディションをきっかけに、kanjuたちとダンス&ボーカルグループでステージデビューすることとなる。

    ■誰もいないデビューライブ


    「メイド喫茶みたいな雰囲気のステージに立ったら、店員さんとヒョウ柄の帽子を被ったおじさんしかいませんでした。それが初ステージでしたね。お客さんがつくまではずっとそんなライブが続いていました。でもやっていることは楽しかったし、可能性も自分たちには感じていたので、ひたすら頑張ろうみたいな気持ちでいました」
     TAIGAの初ステージはとても苦いものだった。当時、新宿歌舞伎町のドラックストアの上にあったイベントスペース。主に女性アイドル達が使うそのステージから見た景色は悔しさとともに忘れられないものになっていた。
     ライブシーンで活躍するメンズグループなどほとんど知られていない時代。思い描いていたのはテレビで観た熱気溢れるライブ風景。だが現実は違った。客席には誰もいない。
     メンズグループの黎明期ともいえる2016年。
     TAIGAはライブハウスを中心にひたすらパフォーマンスを磨き続けることとなる。

    ■ONE PIECEの舞台という大チャンス

    「当時はライブが月5~6本ですね。アルバイトも全てやめて貯金を切り崩しながら生活してました。もうひたすらレッスンと練習を繰り返していましたね。そんな時に『ONE PIECE(以下、ワンピース)』の2.5次元舞台のオーディションに合格したんです」

     ワンピースと言えば日本を代表する大人気の漫画だ。その2.5次元ショーとして2017年から東京タワーフットタウン内のテーマパーク内で毎日行われていた。キャストが交代しながら開園日は毎日行われていた。
    「サンジ役だったのですがもう毎日休みなしでやっていましたね。早朝レッスンにいってそのまま東京タワー向かって、また深夜練習してそのままレッスン場から東京タワー向かって楽屋で仮眠してと。そんなことを繰り返していました」
     折しもグループのデビュー時期とも重なり、睡眠時間もままならない日々を過ごしていたという。あまりの忙しさに当時の記憶も曖昧ということが、スケジュールの過酷さを物語っている。

    ■途中で切られた契約

     このオーディションに合格したことは芸能を続ける上ではかなり当たりと考えるのが普通だ。だが当時の事務所はそうは判断しなかった。ここでまたTAIGAの運命の歯車は狂う。
    「当時、2.5次元のステージは1年契約だったんです。けれどグループを優先して欲しいという事務所の意向で半年で契約を切ることになってしまいました。それから5年間は一切オーディションを受けさせてくれませんでした」
     不運としか言いようがないだろう。そして、次の挑戦ができるようになったのは事務所を移籍した後だった。
    「年齢は28になっていて正直、そういったオーディションの年齢制限に引っ掛かり、受けることができない歳になっていました。ただ、どうしてもオーディションを受けたかったら、もっと早くにグループを辞めてでもそっちの道に行っていたと思うんです。でもグループを取った。それだけ自分がやりたかったことがダンス&ボーカルの音楽だったので後悔はないです」
     後悔はない。だが、この時の経験は悔しさとして残っていた。
     それが今、自身の会社でプロデュースするアーティスト達に活かされている。
    ダンス&ボーカルグループとして入ってきたが、他にももっと可能性があるのではないか。だから自分のようにその可能性を潰したくはない。今、TAIGAはそう考えている。
    「タイムスリップはできないけど、若い子たちにバトンを繋いで、自分ができなかったことをやってもらいたいなっていう思いでいます」

    ■気が付けば10年経っていた

     ワンピースの効果は絶大だった。半年で2.5次元舞台を辞めた後もそこで知った人たちがステージを見に来てくれるようになったのだ。誰もいなかった客席は1人増え、2人増え、努力の甲斐あり、大勢のお客さんが来てくれるようになっていた。
    「当時は武道館を目指してたんですけど、コロナ禍が重なったり、事務所が変ったりだったり、自分たちの実力だったりと夢は叶えられなかったですね。こうしとけばよかったなとかっていうのがやっぱりすごくあって。でも、それが後悔ではなく、次に1からやった時にそうならないようにしようっていう、なんか教科書みたいな役割になってくれたんです」
     そうして必死に走り続け、ステージデビューから10年経っていた。
    「10年っていうと長いなと思うんですけど、ひたすらやっていたのであっという間だなっていうのはありますね」

     今をそう振り返る。そうして年齢も30歳となり所属グループFLSを卒業する。それは元から決めていたことだった。
    「元々始める前に30で区切りを打とうと決めていました。それは売れてようが売れてなかろうが、しっかり考えようっていうのは決めていたんです」
     実は28歳の頃から卒業後を見据えて資格など色々な勉強を始めていた。

    しかし、自分がしてきたあの経験が活かせるのではないか、という想いが湧き上がってきた。
     後悔はないがチャレンジ出来なかった悔しさは残る。若いアーティスト達にそんな想いをして欲しくない。その想いからTAIGAは自らプロデュースする立場を選んだ。
     現役時代、どんなに忙しくても、過酷な環境でライブをしていても辞めたいと思ったことは一度もなかったという。続けられたからこそ伝えられることがある。そう信じている。

    ■後輩へ託した夢

     今、TAIGAは自身の手がけるアーティスト達に日本武道館への夢を託した。ダンス&ボーカルグループやメン地下と呼ばれるメンズアイドル達がライブハウスをメインにしのぎを削っている。

     一部、世間からのイメージが良くないことも知っている。だからこそ、そんな風になって欲しくない一身で自らの経験を伝えている。

     この10年間、必死に築き上げてきたTAIGAというアーティストの魂は新しい世代に引き継がれ、これから先のダンス&ボーカルグループの歴史を紡ぐに違いない。

    (C)LIVE ARTIST PRESS

    (写真提供)YTB entertainment

    (インタビュー写真)編集部